「パーツ」
ブログを書くとなると、妙に緊張して手が止まってしまう。書き残しておきたいことはたくさんあるのに。
今日は別の病院へ行ってきました。
ずっと気になってはいたけれど確信が持てなかった自分の中のモノに名前をつけたくて。
それがトラウマと呼ばれるものなのかそれとも別のものなのかまだ分からないけれど。
それと、そうだ、人格の話をしてもらいました。
先生は「パーツ」と呼んでいて(どれも自分の一部だから)誰しもがその「パーツ」を持っているそうで。たとえば仕事をしているときの冷静な部分とか、子どもっぽくて甘えたがりな部分とか、怒りっぽい部分とか。
詳しい説明は忘れてしまったけれど、見たくない受け止めたくない感情を抱えたパーツを認めて癒やしていく、みたいな感じだったかな。
ほんとそういう大事なことすっぽ抜けるのよくない。
私は時々自分の中に小さな子どもがいて、その子どもが泣きわめいたりしたいけどできないもどかしさを感じるときがあって。
そういう、なんだろう、モヤモヤ?を抱えたパーツを「なかったことにしたい」「認めたくない」じゃなくて、「ありがとう、お疲れさま」って言ってあげることから始める、的な…。
説明下手すぎる。
そういう話をしてもらいました。
これからどうなるかは分からないけれど、良くなっていけたらいいな。